レヴィ=ストロースの構造主義

概要

「人間は、自分で思うほど自由に考えてはいない。表面に現れる多様な文化や行動の下に、本人も気づかない共通の『構造(関係の体系)』があり、それが思考や社会を規定している」——これがレヴィ=ストロースの構造主義の核。

『悲しき熱帯』で芽吹いた直観が、ここでは明確な方法として確立される。本ドキュメントは特定の一冊を解説するのではなく、主要著作——『親族の基本構造』(1949)、『構造人類学』(1958)、『野生の思考』(1962)——を横断して、「レヴィ=ストロースの構造主義とはどういう方法か」を取り出すことを目的とする。

そして全体を通して、前回の実存主義(サルトル)との対比を補助線にする。実存主義が「人間は自由で、自分の選択で自分を作る」と主張したのに対し、構造主義は「その自由は幻想で、人間は構造に動かされている」と切り返した。この対立こそ、20世紀フランス思想の地殻変動の中心だった。


背景:なぜ「構造」だったのか


詳細:構造主義の方法 ★中心

ここが核心。構造主義の「考え方の型」を四段階で示す。

① 出発点=ソシュール/ヤコブソンの言語学

近代言語学の父ソシュールは、「言葉の意味は、そのもの自体にあるのではなく、他との差異にある」と考えた。「イヌ」という語が意味を持つのは、猫・ねずみ・石・雲……「イヌ以外のすべて」と切り分けられる(対立する)から。差異だけが意味を生む

ヤコブソンはこれを音の単位まで突き詰めた。たとえば日本語の「鯛(tai)」と「台(dai)」を区別するのは「t」と「d」の対立(無声か有声か)。あらゆる音の区別は、こうした二項対立で説明できる。レヴィ=ストロースは、この「要素そのものより、要素間の関係(差異の体系)を見る」という発想を、言語から文化全体へと拡張した。

② 核心=「要素」ではなく「関係」を見る

構造主義の一番のキモはここ。個々の風習・神話・親族呼称を単独で見ても意味は分からない。それらが互いにどう対立し・組み合わさっているかという関係のパターン(=構造)を見て初めて、意味が浮かび上がる。

これは『悲しき熱帯』で見た「カデュヴェオの顔の文様」「ボロロの村の配置」を、関係のパターンとして読んだ姿勢の、理論版である。

③ 無意識の構造

決定的に重要なのは、この構造が無意識のレベルにあること。人々は規則を意識して従っているのではない。当人は「自由に選んでいる」と思っているが、実際には気づかない構造に従っている。

京都大学新聞のある論者の例えが分かりやすい——我々が毎日誰に命じられるでもなく朝・昼・夜に食事をするのは、積極的にそうしようと考えているからではなく、「習慣」という名の「構造」が浸透しているから。構造とは、こういう「超自我的な(自分では変えられない)」層を指す。

ここがサルトルとの最大の対立点。サルトルは「人間は自由で、すべては自分の選択だ」と言った。レヴィ=ストロースは「その『自由な選択』こそ、無意識の構造に方向づけられている」と返した。

④ 二項対立と変換

文化は、対立する要素(生/死、自然/文化、生のもの/火を通したもの……)の組み合わせとして分析できる。そして異なる文化・神話は、同じ要素の組み替え(変換)として捉えられる。バラバラに見える多様性は、限られた要素の変換のバリエーションにすぎない。


詳細:方法が適用された三つの領域

抽象的な方法が、具体的にどう使われたか。三つの主著に対応させる。

親族(『親族の基本構造』1949)

構造主義の出発点となった大著。当時の人類学には「インセスト・タブー(近親相姦の禁忌)はなぜ世界中に普遍的に存在するのか」という難問があった。

レヴィ=ストロースの答えは鮮やかだった。マルセル・モースの『贈与論』(贈与=交換が社会を結ぶ)と音韻論を組み合わせ、こう論じた——親族とは、集団間で女性を「交換」するためのシステムである。インセスト・タブーは、単なる禁止ではない。「自分の集団の女性とは結婚するな」という禁止は、裏返せば「だから他の集団と交換せよ」という命令になる。これによって集団どうしが結びつき、人類社会が成立する。

つまりインセスト・タブーこそが、バラバラの家族を社会へと織り上げる「構造」だった。個々の婚姻規則(誰と結婚できるか)は、この交換システムの変換として説明できる。

神話(『構造人類学』『神話論理』)

神話分析にも同じ方法を適用した。世界中の神話は、表面的にはバラバラで荒唐無稽に見える。だがレヴィ=ストロースは、神話を最小の要素(神話素)に分解し、その組み合わせの論理を取り出した。重要なのは個々の物語の筋ではなく、要素がどう対立し変換されるかという規則である。違う土地の神話も、同じ構造の変換と見れば連関が見えてくる。

野生の思考(『野生の思考』1962)

構造主義のクライマックスであり、サルトルとの直接対決の書。主題は 「文明人の思考と未開人の思考は別物だ」という幻想の解体

従来、未開人の思考は「論理以前の劣ったもの」とされてきた。レヴィ=ストロースはこれを覆す。未開人は周囲の自然を緻密に観察し、分類し、体系化している。それは文明人の科学的思考に劣らない、高度に論理的な営みである。違うのは優劣ではなく、思考のモードだけだと。

ここで有名な概念が 「ブリコラージュ(器用仕事・日曜大工)」。科学的思考が、目的に合わせて専用の概念や道具を設計するのに対し、野生の思考はありあわせの記号を寄せ集めて世界を組み立てる。手元にあるもので何とかする、という思考法。神話はこのブリコラージュによって作られる。そしてこのブリコラージュ的思考は、未開人だけのものではなく、現代の我々の中にも生きている。


サルトル批判という「事件」

『野生の思考』の最終章「歴史と弁証法」で、レヴィ=ストロースはサルトルを痛烈に批判した。これは思想史上の大事件だった。

サルトルは「自由な人間が主体的に行動することで、歴史は前へ進み、世界は変革できる」と考えた(前回の「アンガジュマン=社会参加」を思い出してほしい)。これはヘーゲル・マルクスの「歴史は進歩していく」という進歩史観の延長にある。

レヴィ=ストロースの反論はこうだ。世界はそんな進歩の設計図通りには動いていない——それを彼は未開社会の調査で実地に確認した。「歴史」「進歩」「主体」を基準に人間を測るサルトルの態度は、実は西欧近代という一地域・一時代の偏見にすぎない。それは未開人が自分たちの基準で「われわれ」と「かれら」を区別するのと、何も変わらない。

決定的な一撃はこれ——レヴィ=ストロースは、サルトルの思想こそ『野生の思考』が分析対象とすべき、一つの神話的資料だと言い放った。普遍的な真理を語っているつもりのサルトルを、「分析される側」へと引きずり下ろしたのである。

ある評者の言葉を借りれば、言語学をモデルにするマイナーな人類学が、スーパースターであるサルトルの実存主義を粉砕した、衝撃的な出来事だった。これを境に、思想の主役は実存主義から構造主義へと移っていく。


構造主義とは結局どういう思考の転換か

実存主義との対比で、三つの転換として整理できる。


自分に引きつける(現代人は知らず構造主義的に考えている)

構造主義は人類学の理論にとどまらず、現代人のものの見方そのものになっている。あなたが聞いた「知らぬうちに構造主義的に考えている」は、その通り。以下を自分の経験で確かめると、抽象論が一気に具体化する。

つまり構造主義は、「過去の難しい哲学」ではなく、現代人がものを考えるときのOS(土台)の一部になっている。


ありがちな誤解

把握を妨げる代表的な誤解を、先に潰しておく。


この思想がもたらすもの

※レヴィ=ストロースの構造主義が、その後どう枝分かれしたか(トッドの家族人類学、ラカン、バルト、フーコー、そしてポスト構造主義へ)の全体図は、別途「枝分かれの地図」として整理する予定。


この思想の意義


リファレンス